夏みかんの変遷

現在も萩は夏みかんの町として有名ですが、主な生産地は愛媛県・和歌山県・静岡県などの温暖な地域に変わっています。
戦後の果実の需要で特に柑橘類の需要が拡大し、一時は夏みかんの生産が大いに盛んになり大きな収益を上げていました。しかし、その後の高度経済成長と共に生産過剰や果物の輸入自由化による価格の低迷、消費者の嗜好の変化など、夏みかんを取り巻く環境が大きく変わり、甘夏(川野夏ダイダイ)や八朔などに品種更新を余儀なくされ、明治後半から昭和51年まで9,000~16,000トンあった生産量も平成14年以降は平均1,500トン程度の生産量と激減しています。
生産量は激減したとはいえ、夏みかんと共に歩んできた萩では、今日でも武家屋敷の土塀と夏みかんの「風情」と、夏みかん菓子などの「味覚」として愛され続けています。

(注)NPO 萩まちじゅう博物館(平成19年度 まち博推進班活動資料)「萩三角州内の夏みかん樹と巨樹・古木めぐり」より一部引用